もうすぐ四月がやってきます。新学期や新社会人のスタートの月ですね。そこで今日は私自身も調べてみるまで知らなかった今年で創業から122年目を迎える依田酒店スタートからの歴史を、私の忘備録、そして家族親類縁者へ当店の由来書きとして記しておきたいと思いますので、よろしかったらご高覧ください。

当店の事務所に甲府商工会議所から頂いた感謝状があります。その感謝状には「あなたは創業開始より90年以上にわたり…」と書かれています。創業は明治だとは聞いていたものの、実際いつだったのかは父母や祖父母からも教えてもらっていませんでした。よくわからないという返事だったと記憶しています。そんなある日、用事で甲府商工会議所に行った私はふとそのことを思い出し、「感謝状をくれるくらいだからもしかしてわかるかも知れない」と窓口で尋ねてみました。

しばらくして戻った職員の口から「記録がありましたよ。明治34年の4月1日です」。
それに心を押された私は「もしかしたら創業からの事がわかるかも知れない」と、依田酒店の歴史探しを始めました。

明治三十四年 四月一日、依田傳十郎とヨシの二男・重治が二十三歳の時近くに住む岩間家の長女・志希(しげ)と結婚して現在の地、当時の中巨摩郡貢川村徳行にて創業しました。
創業当時の屋号は「松屋 依田商店」。私の父母や祖父母から一度でさえ聞いたことはない店名だったため大変驚きました。創業当時から依田酒店だと思っていたからです。
明治三十九年11月発行の「山梨営業録」によりますと、取扱品目は米穀、石油、食塩、肥料となっています。酒の文字は見当たりません。実際私が中学生の頃まで当店の横には精米工場があり、祖母が縦型精米機が時々稼働させていました。糠部屋に山のように貯められた米糠の香りや色、柔らかな触感は今でも覚えています。米穀が当店の初期の中心であったことを改めて強く認識しました。


出典:山梨営業録(山梨県立図書館蔵)

また、屋号にはどういうわけか「松屋」がついていたこともこの資料から判明。この事も父母祖父母から一度も聞かされておらず大変驚きましたが、ふとその理由に思い当たりました。

なぜ松屋と付いたのか。
創業者重治の父傳十郎は明治十一年生まれ。、重治の祖父は「松右エ門」(文政八年十二月生まれ)。きっと祖父・松右エ門への敬意を表して「松屋・依田商店」としたのではないでしょうか。創業者重治の曽祖父は藤七(生年不詳。江戸時代中期の寛政~享和年間の生まれと推測)とまで名前がわかっています。

出典:山梨営業録(山梨県立図書館蔵)

また「屋号」も私の父である依田酒店三代目・克彦(昭和6年生まれ)から聞いていたものとは違っていました。父からはヤマヨ、ひとへん+カタカナのヨと聞いていましたがそこに印刷されていたものは(マルヨ)となっていたので再び目を丸くしてしまいました。知らなかったことばかりです。

そして時代は下って昭和四年の資料に再び依田商店の名前を発見することが出来ました。
「大日本職業別明細図」には屋号こそ依田商店のままでしたが松屋が無くなっています。そしてここに「ヤマヨ」が登場しています。父は間違っていませんでした。商売の主力に「酒類」が入り、米穀の比率が少なくなっている事を感じさせます。地名はまだ中巨摩郡貢川村徳行と表記されています(甲府市徳行町に変更なったのは昭和十二年からです)が、このことも知らなかったため大変な驚きでした。

出典・大日本職業別明細図(国立国会図書館蔵)
すでに廃業している醸造元や他商店が多く見受けられます。

私が聴いてきた限りでは、三代目父・克彦、母・昭子、二代目の祖父・傳(つたえ)からも依田商店の名を聞いたことが無かったため、いつ依田酒店へと屋号変更をしたのかわかりません。三代目の時代になる時に変更したのかもしれないと想像しています。

出典:大日本職業別明細図 昭和四年地図(国立国会図書館蔵)
着色をして場所をわかりやすくしています。

そして私で依田酒店は四代目となりました。初代は日露戦争、祖父母や父母は太平洋戦争敗戦を乗り越えて私にバトンを渡しました。受け取った私は酒類免許の大幅規制緩和(この時日本中でたいへん多くの個人酒販店が廃業しました)、東日本大震災、山梨県大雪災害を乗り越え、そして今、この度の新型コロナウイルス感染症対策のために実施された政府による度重なる「飲酒・会食制限」という、酒販店が極めて危機的な状況に直面した施策による深刻な経営ダメージからも回復の兆しを見られるところまで来ています。過去を知りそしてここまでくると今回も乗り越えてこれからも依田酒店の歴史を繋いでいきたいと欲が出てきています。これからも続いていく限り大変なこともあるでしょう。その一方で大変良い事もあると信じています。良い事があった時には喜んでも決して尊大に振舞わず周囲に感謝をして次に備え、もし良くないことが起こっても過剰に悲しみ過ぎないように心を鎮め、落ち着いて対処しながら将来の夢を見て立案・実行をしていきたいと思います。報告になりますが最近五代目(まだアルバイトですが)の息子も店内に出没を始めました。親として実に単純ではありますが、心から今後が楽しみになってきています。

今日は依田酒店の歴史にお付き合いくださりありがとうございました。
今後とも依田酒店と美味しいお酒達をご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

 

依田酒店四代目・依田浩毅 拝